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『カリアティッド』 アメデオ・モディリアーニ

薔薇色に燃えて散った男の一枚



およそ100年ほど前のパリの街。 コーディロイのジャケットに色鮮やかなマフラー。 つば広のフエルト帽を小粋に被った男が
夜のパリを流離います。

カフェ・ロトンドには、今宵も仲間達が待っているようです。

敬愛する画家、パブロ・ピカソ。 詩人ジャンコクトーに友人ハイムスチン。 もちろん恋人ジャンヌ・エビュテルヌ。

男の名は、アメデオ・モディリアーニ(1884~1920)。

アメデオ・モディリアーニ

その人生は、伝記作家達が喜ぶ破滅的なものでした。独特なフォルムの肖像画を描いてきた画家です。

ジャンヌ・エビュテルヌ
ジャンヌ・エビュテルヌ
レオポルト・ズボロフスキ
レオポルト・ズボロフスキ

しかし、今日の一枚はちょっと不思議な作品なのです。

カリアティッド

『 カリアティッド 』 1914年。
モディリアーニが彫刻のために描いたものです。 装飾など無駄だと言わんばかりの簡潔で力強い線。 カリアティッドとは、ギリシア建築の張りを支える女人柱のことです。 しかし、モディリアーニのカリアティッドは、官能的です。 ふっくらと丸みを帯びた身体。 しなやかな居づまいに恥ずかしげにかしいだ首。 身体も顔もバラ色に上気させて。 柱にしては少々生々しく、吐息さえ漏れてきそうです。

『 カリアティッド 』。彫刻と肖像画の狭間に。希望と絶望の狭間に。 この絵に隠されたモディリアーニの原点とは。

イタリア・トスカーナ州カラーラは、世界有数の大理石の産地です。 ルネサンス芸術を支えた土地とも言えるでしょう。
ミケランジェロがカラーラを訪れたのは1498年。こんな言葉を残しています。

「真の芸術作品は大理石の中にひっそりと潜んでいる」

それからおよそ400年の時を経て、モディリアーニもまたこの地にやって来ました。 最高の石を、真の芸術を求めて。



画家以前

モディリアーニは、1884年イタリアのリヴォルノに生まれています。 絵を描き始めたのは14歳の時。

自画像
自画像 15歳頃

病弱な少年に進むべき道を照らしたのは、肺結核の療養で訪れたローマやフィレンツェの街です。 イタリアの古典美術に触れる日々のなかで、なにより少年の心を動かしたのは彫刻でした。
例えば、この神殿をささえる『カリアティッド』。 その優美な造形と石の美しさに魅了され少年は彫刻家になろうと決意します。 そして、独学で石を彫り始めるのです。

慈悲、ティーノ・ディ・カマイーン作
慈悲、ティーノ・ディ・カマイーン作、1323年頃




彫刻家として

22歳になったモディリアーニは、彫刻家としてパリにやって来ます。

22歳になったモディリアーニ

彼の言葉です。

ロダンとその影響のせいで 彫刻は病気になり
誰も彼もが 粘土のモデリングをやり
その結果 泥ばかりとなった
彫刻を救う唯一の方法は
再び石を直接彫ることである

20世紀初頭のパリでは、エジプトや中央アフリカなどの原始美術が見直されていました。 その造形は、ピカソやマティスたちによって、キュビスムやフォーヴィスムといった 新たな芸術へと発展してゆくのです。 モディリアーニもまた原始美術が持つ絶対的な存在感に圧倒されていました。 力強く簡潔なフォルム。そのほとばしる命の輝きに自らのモチーフをみつけたのです。

彼は彫刻の制作に没頭していきます。 体力を消耗するまで石を彫り、そのまま気を失っているモディリアーニを 友人たちはしばしば目にしたといいます。 石を彫るということは、体力と財力との闘いでした。 絵画に比べ彫刻の材料は高くつきます。 上質の石を買うことができず、夜の建設現場に忍び込み石を盗みました。 時には、道から無理やり石を剥がすことさえありました。 すべては彫刻のため。

パリ、ジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センターにモディリアーニの彫刻が納められています。

頭部、1912年頃
頭部、1912年頃

縦長の顔。記号化された鼻。小さな口はかすかに微笑んでいるようにも見えます。 迷いのない簡潔なフォルム。この星に生れ落ちた最初の命のようにただじっと存在するのです。

パリ、ビナコテーク美術館館長、マルク・レステリーニ
「 ピカソやマティスが原始美術から触発された作品を作っていたのは とても短い間だけでした。しかし、モディリアーニはエジプトやオセアニア などヨーロッパ以外の様々な美術を研究し、生涯それを作品に取り込んでいったのです。 」


原始より変わらぬ造形。彫刻家モディリアーニの未来はここから始まるのです。

当時のモディリアーニを知る人々は、口をそろえ「彼を彫刻家だ」と言っています。 オシップ・ザッキン(1890~1967)も、そして藤田嗣治(1886~1968)も、 モディリアーニの絵画作品は知らなかったのです。

モディリアーニは、アトリエに何体もの彫刻を並べ、その上にローソクを立てました。 まるで太古の神殿の儀式のように。 展覧会に出品した際もモディリアーニは4体の彫刻を階段状に並べ展示しています。

頭部、1912年頃
1912年、サロン・ドートンヌ展の展示会場

彼は美の神殿を造りたいと願っていたのです。 そのための女神を、自らのミューズを生み出そうとモディリアーニは模索してよくのです。 その果てに、いくつものミューズが浮かんでくるのです。 少年時代、あのイタリアで見た古典美術は、パリで出会った原始美術と次第に融和されていきました。 そして、あのミューズは誕生するのです。

カリアティッド、1914年
1912年、サロン・ドートンヌ展の展示会場

モディリアーニの『カリアティッド』。
神殿を支える力強い女性像は、優美さと官能を得ました。 プリミティブなものたちに命が吹き込まれたのです。 これこそが美の神殿のためのミューズ。あとは大理石に刻むだけ。 彼は友人にこんな手紙を送っています。

充実の時は近い・・・・私は大理石ですべてをやる

しかしこの時、体は確実に悲鳴を上げていました。 石を削り、飛び散る粉が肺を蝕んでいたのです。 彫刻家は渾身の力を込めて刻み付けました。 薔薇色に燃えるミューズを。しかし、『カリアティッド』は未完成のまま。

カリアティッド、1914年、未完成
カリアティッド、1914年、未完成

材料を買う金も野心を満たす体力も、もう残っていませんでした。 モディリアーニが、再びノミを握ることはなかったのです。




彫刻との訣別

彫刻との訣別。残ったのは強い挫折感と不安感です。 行き場の無い感情は、男を破滅的な暮らしへと駆り立てていきました。 やがてモディリアーニは描き始めるのです。 彫刻家としての証を残して。例えばこの下絵の中にも。 X線写真が捕らえた恐ろしいまでの真実とは。

X線写真




彫刻家の夢破れて

彫刻家としての夢が潰えたその日から、モディリアーニの人生は 狂い始めたのかもしれません。 奔放とも、退廃的ともいえる日々。 わずか数フランを稼ぐため、手っ取り早くカフェで客の似顔絵を描きました。 その絵を店の勘定替りにすることさえありました。 道を見失った男に声を掛けたのは、若き画商ポール・ギョーム。 彫刻よりも売れるから、と本格的に絵を描くことを薦めたのです。

モンパルナスのカフェ、ラ・ロトンドは、エコールドパリの芸術家たちが 酒を酌み交わし、大いに語り合った場所です。 モディリアーニも夜毎現れては、女をくどき、そして描くのです。
画家を。詩人を。友人も。恋人も。 モディリアーニのモチーフは人間でした。 肖像画が消滅しつつある時代にあくまでも古典にこだわったのです。 ノミは絵筆に替りました。 しかし変わらなかったもの。 プリミティブなフォルムと抑制された線です。

異様なまでに長く伸びた首や顔。
アーモンド形の瞳のない目。
すらりと伸びた鼻。

彫刻のために何百枚も描いたデッサンは、肖像画へと修練していったのです。

微妙にずれた両目。かしいだ長い首や体の傾き具合。 その手の位置。巧みな表現力で人物の内面までをも描き上げてしまうのです。 石を刻み続けた男の肖像がには彫刻家の魂が宿っていました。

ジャンヌ・エビュテルヌ、1919年
ジャンヌ・エビュテルヌ、1919年

その決定的証拠といえるのが、1981年パリ市立近代美術館で開催 された展覧会で、絵の心眼を確かめるために行われた試みです。 それは、X線写真を撮ること。

「少女」(部分)のX線写真
「少女」(部分)のX線写真

お分かりになるでしょうか。はっきりと描かれた下絵の輪郭線が。 肖像画と比べてみると寸分たがわず。 つまり、モディリアーニの肖像画は下絵の段階でほぼ完成していることがわかるのです。 下絵から構図を変えることも、修正を加えていくこともないのです。 それは例外なく。 石を削っていく彫刻は、一度削ってしまったら手直しが難しく、 失敗は許されません。 モディリアーニは、肖像画においても最初から確固としイメージを 持って描いていました。 石を彫るようにキャンバスに向かっていたのです。




悲劇の画家

しかし、初めての個展は失敗でした。
人目を引こうと画廊のウィンドウに飾った絵が思いのほか話題になってしまうのです。 挑発的な裸婦像は風紀を乱すと。その日のうちに展覧会は打ち切り。 モディリアーニの最初で最後の展覧会でした。

髪をほどいた横たわる裸婦、1917年
髪をほどいた横たわる裸婦、1917年

そんな男に付けられたあだ名は、maudit [ モディ ] =  呪われた画家という意味です。 彫刻家としての絶望。画家としての不運。
先の見えない生活が彼を破滅へと追い込むのです。 そして・・・・。

1920年1月24日。
肺炎をこじらせたモディリアーニは、35年という短い生涯に幕を下ろすのです。 冥護の恋人ジャンヌが投身自殺を図ったのは、そのわずか二日後のこと。



退廃的な生き方と、悲恋の物語。
呪われた画家は、死をもって伝説となりました。
しかし、本当のモディリアーニは、「彫刻家になりたい」と、パリに来た男です。
命を削って石を彫り。石を削るように描きました。

そんな男の原点です。
モディリアーニ作、『カリアティッド』

薔薇色に燃えて散った男の一枚。

 

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