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「私はダメじゃない」を貫いて、漫画家 一条ゆかりの創作の原点



2007年2月、国内外の優れたアニメや漫画作品などを表彰する文化庁のセレモニー ( 文化庁メディア芸術祭賞 贈呈式 ) が行われました。

優秀賞を受賞したのは、漫画家の一条ゆかりさん。 ドラマチックなストーリーや品格のある絵が高く評価されました。 単行本だけで年間5億円の売上がある漫画の世界。 厳しい競争の中で、一条さんは第一線を走り続けてきました。

一条さんの代表作、「有閑倶楽部」です。 個性的な高校生たちのアクション・コメディで、 2500万部を売上る大ヒットになりました。 デビューしてから40年の間に、160を越える作品を生み出してきました。 58歳の今も少女漫画の世界をリードし続けています。

 

瀬戸内海に面した岡山県玉野市。造船業が盛んなこの街で、一条さんは生まれ、高校を卒業するまで過ごしました。
海の玄関口 宇野港には本州と四国とを結ぶフェリーが行き交います。 一条さんが育ったのは港から300メートルほど入った木造家屋が立ち並ぶ住宅街です。 一条さんの父親は造船関係の仕事をしていましたが、一条さんが生まれる直前に事業で失敗し、破産に追い込まれました。 6人兄弟の末っ子として生まれた一条さんは貧しさの中で幼い日々を過ごすことになりました。 この細い路地の先に、かつて一条さんが暮らした長屋がありました。 しかし、今はその建物はなく、新地になっていました。

幼い頃の一条さんは、路上にロウセキで絵を描きながら家族の帰りを待っていました。 その絵を友達に褒められ、どんどん絵にのめり込んでいきました。 よく描いていたのは、お金持ちになった自分が住みたい家の見取り図だったといいます。

一条さんは、高校に進学する頃にははっきりと漫画家になることを決意していました。
母校の玉野市立玉野商業高校です。ここで漫画漬けの生活が始まりました。 そんな一条さんとことあるごとに衝突したのが、母親の薫さんでした。 漫画を描くことには反対し続けたといいます。

 

一条さん said

漫画を描くと頭が悪くなるとか・・・そういう意識を母は持っていて。
だから母は漫画を描くことに対してはすごく批判的だった。
『また、漫画なんか描いて!』そう言われるのがほんとうにいやで。
それを言わせないための努力をものすごくしたの。
お家の手伝いもできるだけやるようにして。
で、それをやらないとまた少し文句を言われるかもしれないからと思ってた。
そういうことを勝手に考えてた。
自分のすることに対して文句を言われるのがものすごく嫌いだった。
でも、親が文句を言うのは仕方がない。
だって子どもを養っているのだから。
だから、養われたくないと思ってた。
独立したい、と思うようになっていた。

 

どうしてそんなに親から独立したいという気持ちが強い子どもなんですか?

 

一条さん said

どうしてって言われてもわかんないけど、自分の好きにしたかったの。
今思うと一度しかない人生を、誰かのために余計なことをする時間が惜しかった。
干渉されることがとても嫌で。
みんなと一緒がとにかく嫌いで。
みんなが持ってないものが欲しかったし。
みんなが持ってるものだったら、別に私が持たなくてもいいじゃない。と思ってた。

 

それが実現できる世界。それが漫画なんだ。

 

一条さん said

そうです。漫画を生むのは個性だから
個性がなければダメなわけでしょ。
つまり、他の漫画家さんと同じことをしなくてもいいわけですよ。
むしろ同じことをしたら怒られる(笑い)。
自分にしかできない事がしたかったし。
みんなと同じ事をして褒められるんじゃなくて、
私にしか出来ない事を、
私だけの考えで、
私が好き放題して、
そして認められる。
というのが最高の私の感覚だったの。

 

一条さんは高校生の時、少女漫画誌 「りぼん」 で念願のデビューを果たします。 ( 「りぼん」 1968年3月デビュー作品 『雪のセレナーデ』 ) 新人漫画賞で入選し掲載されたのは、病に冒された男性が命がけで雪の妖精に恋をする物語です。 絵の中には豪華な家など、一条さんのかつての憧れも散りばめられています。

デビューから一年後に上京。 雑誌の読者による人気アンケートで一位になるなど、上々の滑り出しでした。
人気を不動のものにした作品「デザイナー」です。 主人公の女性が服飾デザイナーとして成功する姿を描きました。 ラブストーリーが多かった少女漫画の中で、あえて仕事に打ち込む女性をテーマに描き、多くの共感を呼びました。 その後、いくつかの作品はテレビドラマになるなど、幅広い世界に支持されるようになりました。
漫画家生活40年。 腕の腱鞘炎で苦しむようになった今も、新しい作品を生み出し続けています。

 

一条さんが幼い頃よく遊びに来ていた渋川海岸です。ここであらためて長年の創作活動の原動力について尋ねてみました。

どうして、そこまで他人に干渉されたくない、自分の思い通り生きたい、と強く思うようになったのですか?

 

一条さん said

どうしてって言うと、話し長くなるんですけど。
きっと生まれた時からの反というか恨み・コンプレックス。
それが強烈に積み重なってきてた、と思うんですよ。
たとえば・・・・これは後から分かったことですけど。
親が私を下ろそうとしたこと。
昭和24年生まれで、上に姉2人、兄3人もいるんです。
しかも戦争が終わってまだ4年しか経ってなくて。
どう考えても、それはいらない。
貧乏になっちゃったし。
それでも生んでくれたから感謝しなくちゃいけないんですけども。
『あ、お母さん、私のこといらなかったのかな』
こんな気持ちにちょっとなって。
自分は望まれた子じゃないんだ、というような気持ちを少し持ったんです。
それは中学生の時かな。
とりあえず生まれてきたら。


野菜がものすごく嫌いで食べられなくて。
今だったら体質だからしょうがないでしょ、と言ってもらえるんだけど。
ずいぶん昔の話だから、 「それはおかしい」 ということになって。
野菜が食べられないのは 「おかしい」 「お前は変だ」 と。
お箸も右手で持たないと 「変だ」 と。
左利きなんです。
それで、矯正されて。
『どうして!』 って思っていたら、字も左利きはよくない、と。
「日本人は右で持つものなのだ」 「お前は普通じゃない」 「おかしい」 と。
だから、小学校に上がる前にすでに、『私は普通じゃない』
『変なのかしら』という気持ちが強くなって。
おまけに貧乏だし。
自分のなかでものすごいコンプレックスが沢山あって。
ネガティブになってしまって。
人と会うと、正しいと思ってきつく矯正されるの。
「あなたのためなんだから」
「ペンは右手で持ちなさい」
「お箸は右、野菜を食べないとダメでしょ!」
生まれて物心ついた記憶が、「ダメだ!ダメだ!ダメだ!」
って言われ続けているうちにとても辛くなってしまって。


一番先に思ったことは、自分を好きになりたい、
自分を好きになるためには、自分の中に何か才能があればいいんだ、と。
それをどうやってやればいいのかな、と。
人が 「お前はダメだ」 って言うのは、
まだよかったんだけど。
自分まで 『そうなのかな』 って思うのが嫌だった。
負けたくなかったので。
それは世間にじゃなくって。
『私はいらないんじゃないか』 と思いたくなかった。
『私は生きてていいんだ』 という感情をはっきりと自分の中で持ちたかった。
だから、人はどうでもよかったの。
自分の中で 『自分はダメだ』 と思いたくなかった。
自分をダメだと思ったら、自殺するんじゃないかな、と思った。
いつも死ぬことを考えいた。
母が私を「お前が生まれてきて本当によかった」
この人の一生をかけて、私を肯定する言葉を絶対言わせてやる、と。
ほんとうに思って、母とも闘いましたね。


一番大きな基準は
まず、私が私をとても好きになること。
これは絶対にクリアしなければいけないこと。
それは漫画家になってずっとやっていくうちにクリアできたんです。
でも2番目のクリアが、
私にトラウマを与え続けた人が私を認めること。
その代表選手が母だったんです。
母が病気になって、足が動けなくなって、寝たきりになって、入院して、長くないのかな、という時に、
私はのヤケクソのように親孝行してたんです。
大変だ大変だ。
この人が死ぬ前に私を認めてもらわなくっちゃ。
と、どうも思ってたらしくって。
ほんとにヤケクソの親孝行って言ってました。


私のトラウマを作ったのはたぶんあなたなんだから、
あなたが私のトラウマを取れよ。
私が強制するのではなくて、あなたが心の底から
お前を生んでよかったとか、お前がいてよかったとか。


病院に見舞いに行ったら、とうとう言われたんです。
「お前がいてよかった」 と。
言われたとたんにビックリして、
「えっ、いま何言ったの?」
『さぁ言えさぁ言え』と思ってた時は言わないのに
なにげにふらっと言って。
『えー!この人が私を褒めてる』
と思った時にほんとに嬉しくて。
世界中が私を祝福してくれたぐらい嬉しくて。

 

母親が亡くなってから連載が始まった「プライド」です。 オペラ歌手を目指す二人の女性が、困難な状況の名手で中でも歌いたいという思いを貫き、壁を乗り越えてゆく物語です。 自分を信じて努力し、誇りを持って生きようとする姿は。一条さん自身とも重なります。

 

一条さん said

すごいかっこいい言葉で言えば、
生きることへの誇りと尊厳、 『生きていていいです』 と。
だらしなくっても生きられるじゃないですか、人って。
それをあえて誇り高く自分を愛していきたい。
そういう女の子を主人公に描きたいなと思った。
ともすれば、 『どうせ私なんかとか』
そういうふうに思ってしまうのを
なんとか努力して
自分が自分にオーケーを出して
そして、周りもオーケーを出して
『あ、よかった、生きてて』
そういう話を描きたいなと思った。


今までは自分のためでしか漫画を描いてなかった。
なのに、最近読む人のことを少し考えるようになって。
なぜなんだろう。
自分で不思議だったの。
あそこまで強烈に 「読む人ははっきり言ってどうでもいい」
「ただ、私の漫画を好きだと言って読んでくれる人は嬉しいです」
って言って、あくまでも私が中心だったのに
最近、誰かもし私の漫画を読んで
元気になったりとか
楽しかったりとか
幸せになったりするとか。
それを聞くと
いいなぁ、って。


破滅して終わるとか、死んで終わるとか
でも何年か前から、それを止めて
いつも幸せにしてあげたいと思い出して
たぶん今後は幸せを探す。
変な話なんだけど、
『主人公はどうやったら幸せになれるんだろうとか』
そういうことを考えるんじゃないかな

 

3rd May 2008
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