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走った距離は裏切らない、野口みずき

誰も成し遂げていないオリンピック二連覇の夢

 

アテネオリンピックの金メダリスト、野口みずき。 再びオリンピックの舞台に立つため、代表選考レースに挑みました。
怪我に悩まされた日々。 目標を見失うことなくトレーニングを続けてきました。

<野口>
次のオリンピックに出たい。大歓声を自分のものにできたっていうのが嬉しくて、もう一回その感覚を味わいたい。

 

復活を目指し、厳しい練習を続けました。胸に深く刻んできた言葉があります。

<野口>
走った距離は裏切らない、という言葉がずっとあって。 積み重ねが試合に向けてすごく自信になるので。

 

誰も成し遂げていないオリンピック二連覇の夢。 驚異的な走りで北京の切符を引き寄せました。 野口みずきの挑戦の日々を追いました。

2004年8月。アテネオリンピック。野口みずきが世界の頂点に立ちました。 わずか4回目のマラソンで掴んだ栄光でした。

<野口>
一番にゴールしてこれて、拍手とか歓声を自分の体で浴びることができて、すごく嬉しいです。

 

陸上競技を始めたのは中学生の時。 練習熱心でしたが、全国大会で上位に入ったことはありませんでした。 高校を出て、京都の実業団に入ります。 最初のうちは目立った成績は残せませんでした。 藤田信之監督の指導で急速に力を伸ばしていきました。

<野口>
足が壊れるまで走り続けたいのが夢であり、目標でありというか、自分の限界まで行けるとこまで行く、ただそういう感じです。

 

地道な努力の末に掴んだ金メダル。 オリンピックの後も更に成長を続けます。 翌年(2005年9月)のベルリンマラソンでは、日本新記録を出し優勝。 次の目標は北京オリンピック。史上初となる女子マラソンに二連覇です。

<野口>
アテネで金メダルとってから二連覇というのは頭にありました。 次のオリンピックの出たいという。 一回勝って自分の夢だった大歓声を自分のものにできたっていうのがすごく嬉しくて、 もう一回その感覚を味わいたい。

 

野口は北京への選考レースとして東京女子国際マラソンを選びます。 四つある選考レースのうち、夏の世界選手権は避け、 オリンピックまでの準備期間が最も長くとれる東京を選びました。

野口は北京オリンピックに向けて走り出しました。 しかし去年(2006年8月)合宿中に左足を痛め9月に予定していたマラソンに出られなくなります。 更に今年1月左足のアキレス腱が炎症をおこします。 アキレス腱を痛めたのは初めてのことでした。 一ヶ月以上走ることができず予定していたマラソンの出場を再び断念しました。

<野口>
結構腫れてて。歩くのも痛い感じがありました。 アキレス腱の周囲というのは初めてだったんで、 どれぐらいで直るんだろうっていう。 筋肉っていうか・・・骨以外のところっていうのは 直りが遅いような感じがあったので、ほんとに不安でしたね。

 

競技人生で始めての大きな故障。 言葉数が少なくなり、コーチに泣きながら相談したこともありました。 2年以上マラソンを走らずに代表選考レースに臨まなければならなくなりました。

ようやく練習を再開したのは3月でした。 野口を支えてきたのが広瀬永和コーチです。 現役引退後、藤田監督の下で指導法を学んできました。 合宿中はつきっきりで野口を指導しています。 世界で活躍するという自分が果たせなかった夢を野口に託してきました。

<広瀬>
野口を通して僕の考えているマラソンをやって欲しいし、 ましてそれが野口がちゃんと結果を出してくれる部分が大きいんで、 そういう面は僕の夢を託せれるかな。

 

練習再開後、まずフォームの修正に取り掛かりました。二回の怪我で左右の足のバランスがくずれてしまったのです。

<野口>
左減りますね。外側が。すごくわかるんです。

 

怪我の後一ヶ月あまり使っていたマラソンシューズです。左足の靴底の外側が極端に磨り減ってました。

<野口>
普段はここ減らないんですけど。ここは減っても、ここは減らないんですけどね。 多少かばっていた分、ここに負担がかかってたということだと思います。

 

広瀬コーチは怪我の影響で左足の着き方が変わってしまった、と指摘します。

バランスを欠いたまま走り続ければ再び怪我をする恐れがあります。

長い距離を走りこむ前にバランスをとりもどさなくてはなりません。 左右の筋力が均等になるよう慎重にトレーニングを続けました。 両方の足で地面をしっかりと捕らえることができているか、広瀬コーチがチェックします。

<野口>
私が走ってて気付かない何ミリかの違いとかも、 広瀬コーチは的確に私に教えてくれるので、 バランスを取り易いというか、あーそういう走り方になったんだな 気をつけて走ろうって思いますね。

 

地道なトレーニングが続けられました。 二回の怪我をしたことで体調の管理により気を使うようになりました。 わずかな体の痛みや張りでも見逃さず怪我の予防に努めるようになりました。

<野口>
用意周到になれたっていうか。故障があっただけに自分の体をもっとちゃんと 見ることができた。あの故障はきっと自分のなかで経験しないと いけないべき故障だったのかな、というふうには思って、 逆に良かったのかなと思っていますけど。

 

長い合宿で練習が短調にならないよう広瀬コーチは工夫を凝らしています。 気分転換を狙ってトレーニングに山登りを取り入れました。

合宿の途中、陸上教室が開かれました。将来陸上選手を目指す子供たちを指導します。

7月8日、札幌でハーフマラソン(札幌国際ハーフマラソン)に参加しました。 東京の選考レースに向けた最後の実践。 どこまで力が戻って来たか、試します。 野口は13キロ過ぎにトップに立つとその後は独走となります。 大会記録を更新するペースでした。 ところが終盤の上り坂、大きくペースが落ちてしまいます。 広瀬コーチにとっても予想外でした。 ゴールタイムは1時間8分22秒。大会記録には届きませんでした。 優勝はしましたが笑顔はありません。 東京の選考レースは同じように終盤に上り坂があります。 不安が頭をよぎっていました。

坂を上る脚力と終盤のスピードが課題となりました。

選考レースまで三ヶ月。標高の高いスイスと中国で走りこみに入ります。 マラソン前には必ず高地トレーニングを行ってきました。

標高1800メートルのスイス・サンモリッツ。 金メダルを取ったアテネオリンピックの前にも、ここで合宿をしました。 一ヶ月間徹底的に走り、脚力を鍛えるのが狙いです。 まず力を入れたのは、起伏のあるコースを走りこむことです。 スイス合宿では、毎朝山道を15キロ以上走りました。 ウェイトトレーニングにも積極的に取り組みました。 週に2回のペースで行います。 課題の一つだった坂を駆け上る脚力をつけました。 マラソンに向けたとレーニングのなかで、必ず行ってきたのが40キロ走です。 スイスでは3回。この後中国で2回走り、練習の成果を確かめていきます。 マラソンとほぼ同じ距離を走りきることは、本番に向けての自信になります。 2回目、3回目と順調にタイムを縮めました。 スイスの一ヶ月間で走った距離は、1200キロを越えました。

<野口>
常に、マラソンやり始めてから頭にあるのが、「走った距離は裏切らない」 という言葉がずっとあって、距離イコール努力っていうか、 その積み重ねが試合に向けてすごく自信になるので、 「これだけやったぞ!」っていう充実感がうまく私を支えてくれてるのかなと思います。

 

スイス合宿中の9月2日未明、テレビでは大阪で行われた世界選手権の女子マラソンが 中継されていました。 日本人のトップでメダルを獲得すれば、北京オリンピックに内定します。 土佐礼子が銅メダル。代表の切符を最初に手にしました。

オリンピックの代表は3人。土佐が決まったので残りは2人です。 3のレースで2人を選ぶ狭き門となりました。

勝負の舞台となる東京。
ランナーにとってペース配分が難しいコースとして知られています。 スイスから帰国した野口は、コースの下見を行いました。 東京国際女子マラソンは初挑戦です。 野口が一番確かめたかったのは、36キロ過ぎから続く上り坂でした。 コース最大の難所です。終盤の走りがポイントとなることを改めて確認しました。

最終合宿地、中国・昆明。標高は1900メートルです。 時差は一時間しかなく、多くの長距離ランナーが訪れます。 この合宿では実践を意識してスピードアップを図るのが狙いです。 スイスに比べ、一つひとつの設定タイプを速くしました。 スピードを上げた練習を繰り返し、速いペースを体に覚えこませます。 中国で取り組んだスピードアップは終盤でのペースの切り替え、 つまりスパートを意識した練習でもありました。

東京国際女子マラソンの大会記録は、2時間22分12秒。 広瀬コーチはそのタイムを視野に入れていました。 合宿は仕上げの段階に入っていました。 この日は30キロを走る予定でした。 ところがアクシデントが起こります。 突然の腹痛に襲われていました。 6キロ過ぎで足を止めてしまいます。 腹痛はまもなく治まりましたが、レースが近くなったこの時期には 経験のない出来事でした。 広瀬コーチは野口の気持ちを聞いた上で、再び走るよう指示します。 苦しいなかでも練習を続けることが成長につながると考えていました。

<野口>
きつい時にいかに我慢できるかとか、例えば競り合っている時に 自分がどこまで、競り合いに対して粘れるかとか、ていう競技が マラソンなんで。精神的部分のストレス与えることも僕らがやっていくことだし、 どこまで走るかな、どこまで我慢するかな、どこまで自分が一回失敗したことに 対して今度また気持ちを続けられるかな、って。

 

野口は再び走り始めましたが、30キロを最後まで走り切ることができませんでした。 練習の積み重ねをもっとも大切にしてきた野口にとって、 予定通りに練習を消化できなかったことは、大きなショックでした。

<野口>
結構完璧主義っていうか、与えられた練習はきっちりこなしたい方なんで、 途中で止めてしまったことも今回初めてだったんで、悔しいし。

 

野口は次の練習に集中しようとしていました。海外合宿の最後となる40キロ走が三日後に迫っていました。

40キロ走当日。続けて失敗はできない、と監督とコーチは緊張しています。 野口は、三ヶ月間の積み重ねを確かなものにしようと心に決めていました。 野口はスタートから飛ばします。5キロを17分台。標高の高い昆明ではとても速いペースです。 中盤になってもペースは落ちません。 もっともつらくなる30キロを過ぎても、5キロ17分台のハイペースを守ります。 35キロ、ここでスピードを上げます。 合宿の狙い通り、終盤でのスピードアップを実現します。 40キロを2時間22分。前回より1分以上速いタイムでした。 三日前の失敗から立ち直り、レース本番に向けて手ごたえをつかみました。

レースの10日前、中国より帰国しました。

東京国際女子マラソンには強力なライバルが出場します。前の日本記録保持者、渋井陽子です。

2007年11月18日、784日ぶりのマラソンの日を迎えました。 北京オリンピックの代表を確実にするために、優勝と大会記録の更新が目標です。 スタート直前、藤田監督と広瀬コーチが声をかけます。 「勝負は終盤、前半は余裕を持っていけ」と指示しました。

スタート直後は22度。この季節としては高い気温です。 前半は向かい風。遅いペースで進みます。 野口と渋井は牽制しあいながら先頭を走ります。 広瀬コーチは11キロ地点で序盤の走りを見守りました。 その後も遅いペースでレースは続きます。 大会記録より1分30秒以上遅れて折り返します。 野口は後半で勝負をかけようと考えていました。 渋井の動きを見ながらスパートのタイミングをうかがいます。 渋井を引き離します。直後の30キロ地点。藤田監督が待っていました。 30キロを過ぎ、野口は次第にリズムに乗ります。

そして35キロ。
中国の合宿でスピードを切り替えたポイントです。 この時点で大会記録から42秒遅れていました。 上り坂が始まる36キロ過ぎ、スパートをします。 37キロを前に、完全に引き離します。 長い上り坂でもスピードが落ちることはありません。 スイス合宿の成果が現れます。 35キロから40キロまでの上りの5キロは、16分56秒。 大会史上最速の驚異的なタイムで駆け上がりました。 40キロ地点で大会記録より17秒速くなりました。

<野口>
ラスト1キロとかは、もう・・・ほんとに・・・、 今までのこととか、すっごい・・・、思いました。 失敗してしまったこと、あと、今年に入ってからのここまでの 道のりというか、あんだけやってきたんだな、っていうふうに なんかいろんな想いがありました。

 

2時間21分37秒の大会新記録で優勝。北京オリンピックの代表権を大きく引き寄せました。

走った距離は裏切らない野口みずきの信念が実を結びました。

<野口>
気持ちの充実感っていうか、落ち着いて走れるようになったっていうか、 そいういうのはこの東京に向けてトレーニングしてきて感じましたし、 レースでも発揮できたんじゃないかなと思います。 もし確定したら、一生懸命連覇にむけてやっていきたいなと思っているので、 気持ちを引き締めてかんばりたいなと思っています。 このレースですごく喜べたんですけど、 これですべてが終わったわけではないっていう感じなんで。 また、こっからスタートして、新たな目標に向けてがんばりたいな、と 思っています。

 

レース翌朝、いつも通り練習する野口の姿がありました。 北京オリンピックまで9ヶ月。 誰も成し遂げていない女子マラソン二連覇に向けた 新たな挑戦がスタートしています。

 

 

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